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広島地方裁判所 昭和56年(わ)909号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

一本件審判に付された事実は、「被告人は、広島県巡査部長として広島県尾道警察署美ノ郷警察官駐在所に勤務していたものであるが、昭和五四年一〇月二二日正午前ころ、広島県尾道市美ノ郷町中野において、森本直輝(当時二四歳)を銃砲刀剣類所持等取締法違反及び公務執行妨害の現行犯人として逮捕する職務を行うにあたり、同人を追跡して同町中野三八七番地宗永喜代松方北西方約一五メートルの路上に至り、同所において右森本に追いつくや、抵抗する同人に対し所携のけん銃を発射し、発射弾を同人の左手腕部に貫通させ、さらに逃走する同人を追つて右宗永喜代松方庭先の田んぼに至り、同日午後零時五分ころ、同所において、はで杭を持つて抵抗する右森本に対し所携の前記けん銃を再び発射し、発射弾を同人の左胸部に射入させ、よつて同人に対し左手小指、左手掌及び左前腕手根部貫通銃創並びに左乳房部銃創の傷害を負わせ、同人をして間もなく同所において、左乳房部銃創による心臓及び肝臓貫通、右腎臓損傷に基づく失血のため死亡するに至らせたものである。」というものである。

被告人の当公判廷における供述のほか、別紙取調べ済みの関係各証拠を総合すると、被告人が、右事実に記載の日時、場所において、その職務を行うにあたり、同事実記載のとおり二回けん銃を発砲し森本直輝に左前腕手根部貫通銃創並びに左乳房部銃創の傷害を負わせ、同人をして間もなく、心臓及び肝臓貫通、右腎臓損傷に基づく失血により死亡するに至らせたことを認めることができる。

二弁護人は、「被告人の一回目の発砲は、森本直輝を銃砲刀剣類所持等取締法違反及び公務執行妨害の現行犯人として逮捕しようとする被告人に対し、右森本が右手に逆手に持つた果物ナイフと左手に持つたナイロン製バッグ(総重量約一・三六キログラム)を交互に激しく振り回して攻撃し、所携の特殊警棒を用いて防禦しようとする被告人も右森本の攻撃に押されて後退を余儀なくされ、ナイフで右肘部の製服を切り裂かれ、その執拗な攻撃を防ぎきれなくなつたため、やむなく、同人の攻撃を中止させ自己の身体を防護して同人を逮捕すべく銃口を上に向けて威嚇発射したもので、右は警察官職務執行法七条の要件を充足し、かつ刑法三五条に該当する適法な職務行為であり、二回目の発砲は、同人を公務執行妨害等の現行犯人として逮捕すべく追跡して行つた被告人に対し、同人が両手に握つた長さ一七一・五センチメートルのはで杭で狂気した如く十数回にわたつて激しく被告人に殴りかかつて被告人を殺害しようとし、被告人において特殊警棒で防禦したが及ばず、右はで杭で両肩、両肘、右大腿部等を連打されて右各部位に全治五か月余を要する打撲等の重傷を負い、特殊警棒も叩き落とされ、はで杭の山に追いつめられ、自己の生命身体を防禦すると同時に森本の攻撃を中止させて同人を逮捕するために、已むを得ず出た行為であつて、警察官職務執行法七条、刑法三五条に該当する適法な職務行為であり、かつ同法三六条に該当する正当防衛行為である。」旨主張し、検察官の職務を行う弁護士(以下単に検察官職務代行者という。)は、「被告人の一回目の威嚇発射行為は、森本が所携の果物ナイフを振りかざしたり、振りまわしたりする程度の行為に対するものであつて、凶悪な犯罪を犯し、犯すおそれのあつたものでもなく、森本との間合いを保ち、場合によつては特殊警棒で森本の右手に一撃を加えるなりして制圧しうる状況にあり、同人の抵抗をふせぎ、逮捕するために、けん銃を発射する以外に手段がないと判断するに相当な理由があつたとはいえず、警察官職務執行法七条所定の「自己若しくは他人に対する防護又は公務執行に対する抵抗の抑止のため必要であると認める相当な理由のある場合」には該らないものであり、二回目の発砲行為についても、森本がはで杭を振りまわしたり振りおろしたりする行為に対しては、被告人の警察官としての経験、逮捕術や武術等の心得を活用し、近くにいた壮年男子(宗永一彦)に協力を求め、また協同して森本を追跡していた渡辺巡査の到来を待つなりして、右森本を制圧逮捕することは十分可能であり、しかも本件射殺行為が、法益の権衡を著しく失していることも明白であつて、到底、警察官職務執行法七条所定の要件を満たしたものとはいえず、刑法三五条、三六条にも該当しないものである。」旨主張するので、以下検討する。

三前掲証拠によると、以下の事実を認めることができる。

1  被告人の経歴等

被告人は、昭和一六年三月広島県庄原市内の尋常高等小学校を卒業し、昭和二二年二月広島県巡査となり、同年七月呉警察署畑派出所勤務に、昭和二三年八月留置場看守に、同年一二月から再び同署管内の派出所(宮原通二丁派出所、宮原通六丁派出所、警固屋派出所、花見橋派出所)勤務に、昭和三二年六月留置場看守に、昭和三三年三月から再度同署管内の派出所(花見橋派出所、吉浦派出所)勤務に、昭和三六年四月から同署管内焼山駐在所勤務に、昭和三八年四月から甲山警察署管内の駐在所(津久志駐在所、東駐在所)勤務になり、昭和四四年四月巡査長に昇進して同署管内駐在所(小国駐在所、大見駐在所)勤務に、昭和四六年九月から木江警察署管内の駐在所(大西駐在所、南駐在所)勤務となり、昭和五〇年三月二〇日巡査部長に昇進し、尾道警察署美ノ郷駐在所勤務となつていたものである。被告人は、昭和四一年一月柔道講堂館三段を取得し、昭和四七年一〇月同四段(書類審査)に昇段し、昭和五四年一〇月当時、身長一六一センチメートル、体重は六三キログラム位であつた。

2  森本直輝(被害者)の生活状況等

森本直輝は、父森本輝郎(昭和三年九月生)、母森本トキ子(昭和一〇年五月生)の長男として昭和三〇年六月九日尾道市内で生れ、同市内の小、中学校を経て昭和四六年四月学校法人広島県尾道高等学校に入学し、同校一年時には、責任感が強く、性格は温和で情緒も安定し、成績順位は一年時五四名の組で七位、二年時四九名の組の中一〇位で良好であつたが、同校二年生のころサッカーボールが顔面に当たつて転倒した際頭部を打つたことがあつて以来、次第に成績が下降し同校三年時には中位に落ちた。昭和四九年三月同高等学校を卒業した同人は、同年四月特に希望していた訳でもなかつ広島経済大学経済学部経済学科に進学し、広島市内に下宿して通学していたが、昭和五一年八月(同大学三年時)頭痛、吐気、耳鳴り等を訴えて広島県厚生農業協同組合連合会尾道総合病院で診察を受け、「てんかん、頭頂部陳旧性陥没骨折、大後頭・三叉神経症候群」と診断され、昭和五二年一月末まで投薬による治療を受けていたが、同大学での勉学に意欲を失い、同年三月末限り病気療養を理由に同大学を退学し、両親や妹(昭和三四年八月生)らと尾道で暮らすようになつた。昭和五三年三月ころから同年七月ころまで大阪市内のビル清掃会社で働いたりもした同人は、昭和五四年一月父輝郎の知合いの世話で尾道市内の尾道海運株式会社に勤め始め、貨物輸送に関する仕事と取り組んではいたものの、作業全体が荒つぽく、その性格に合つていなかつたこと等から同年七月末限り同社を退職し、以後無職のまま父母らと暮らすようになつていた。

森本直輝は、美術関係に興味を持ち、洋画をかいたり、写真を撮つたりすることを好んでいたこともあつて、右尾道海運を辞めた後も、この方面に楽しみを求め、昼間散策がてらあちこちに出かけ、同年九月一七日ころからは、画材を求め或いは風景写真を撮る等のため自宅から、別紙略図(一)に示す美ノ郷町泉部落方面(直線距離約三・六キロメートル)へ田舎道を徒歩で往復するのを日課としていた。同年九月下旬ころから、美ノ郷町泉、中野地区の住人は、日中若者(森本直輝)が徘徊する姿を毎日のように見かけるようになり、当初その素性も不分明であつたことから、互いに警戒を呼びかけあつたりもしていた。そして同年一〇月中旬ころには、右泉地区の一部の住人には、若者(森本直輝)が尾道海運を辞めて同市栗原に住む者であることが判明したが、目的も分らぬ徘徊に要注意の者であるとしてそのころ同人の住居地近くの栗原警察官派出所へ警戒方電話で申入れをしたり、小学校へ通学する幼児をもつ親達は互いに気をつけようと話合つたりなどして用心する状況にあつた。尤も、そのころ連日午前一一時三〇分ころ森本直輝が立寄つて買物をしていた美ノ郷町中野の応地商店の応地志津江(昭和二四年七月生、当時三〇歳)やその近くの上西商店の上西マルヱ(大正五年三月生、当時六三歳)らは、右森本が無愛想で眼つきが鋭く、往来の自動車等による騒音に対し、両手で両耳を押さえるような奇妙な仕草をし、連日何をしに来ているのかが分らなかつたため奇異には感じてはいたものの、一面純情で真面目そうな青年であるとの感じも抱いていた。なお、当時の右森本の身長は一七二センチメートル、体重は六五キログラム位であつた。

3  事件の概況

(一)  森本直輝は、当日(昭和五四年一〇月二二日)午前九時ころ自宅を出発していつものとおり徒歩で美ノ郷町中野地区に向かい、その数日前父輝郎から林檎を食す際に用い、丸かじりなどしないようにと手渡された折りたたみ式果物ナイフ一丁(刃体の長さ約七・三センチメートル、刃の最大幅約一・六センチメートル、刃背の最大幅約〇・二センチメートル、昭和五七年押第三五号の5)を入れた青色ナイロン布製の手提袋(左右の長さ約三三センチメートル、上下の長さ約二二センチメートル、幅約一〇センチメートル、同押号の1)を携行した。そして、同日午前一一時二五分ころ美ノ郷町中野の前記応地商店に至り、パンを求めようとしたが品切れであつたため黙つて同店を出て行き、そこから西方約一〇〇メートルの上西商店に赴き、パン二個やローヤルトップ(ドリンク)一本、チューインガム六個等を買い求めたうえ、同町中野上組方面へ向け、同日午前一一時四〇分過ぎころ、県道三六八号線から岐れて北上する舗装路を美ノ郷町中野一〇七四番地の一所在の尾道市北部農業協同組合元中野出張所前四叉路交差点(別紙美ノ郷町中野略図(二)参照)近くに差しかかつた。

被告人は、同日午前一一時ころ美ノ郷駐在所において、広島県巡査渡辺繁智((昭和四九年三月岡山県立精研高等学校卒業、同年四月一日広島県巡査となり、呉警察署管内派出所(宮原派出所、警固屋派出所、本町派出所)勤務を経て、昭和五四年八月から尾道警察署美ノ郷駐在所勤務、当時二四歳で逮捕術、けん銃ともに技能検定中級に合格し、剣道三段))と共に勤務していたところ、同駐在所を訪れた顔見知りの同町中野一一三一番地に住む高橋善吉(明治二七年一〇月生、当時八四歳)から、「中野の方に以前からものをえつと言わん変な男が毎日うろうろしてみんなが気味悪がつとるし、子供に悪いことをしてもいけんので、又何か事件があつてからでは遅いんでひとつ来てみてくださるか」「応地商店にはその男が毎日のようにパンを買いに来るので、その男の人相等詳しいことはその店で聞いてもらえばよくわかる」との通報を受けた。

被告人は、同月一九日ころ、栗原派出所の田村誠一巡査から同町泉地区に住む泉太郎(明治四二年五月生、当時六九歳)より、「二四、五歳の若者が毎日ぶらぶら歩いたりしているので、近所の者も気味悪がつており、栗原町より憩の森を通るのでその道をパトロールしてほしい」との要請があつた旨連絡を受けていた若者と同一人物であると判断し、午後になると渡辺巡査が本署(尾道警察署)へパトロールカーの補助に出向く予定になつていたので、「午前中渡辺巡査の勤務している間に、二人でその男を探して、身もとを確め、場合によつては同行して駐在所に帰り、家族の者に連絡して美ノ郷町中野方面を徘徊させないようにする必要がある」と考え、「あんたの車で行こう」と渡辺巡査に告げ、同巡査もこれを承諾し、同日午前一一時三〇分ころ、両名とも制服、制帽、帯革にけん銃を着装し、被告人においては特殊警棒と署轄系無線機を、渡辺巡査においては正規の警棒をそれぞれ携え、同巡査運転の普通乗用自動車に被告人が同乗して、同駐在所から西北方約四・六キロメートルの所にある前記応地商店へ向け出発した。

数分後(午前一一時三〇分過ぎころ)、右応地商店前に着いた両名は、下車して同商店に入り、被告人において、同店の店番をしていた前記応地志津江に対し「今日不審な男を見ましたか」と尋ね、同女が「さつき上西の方へ向いて歩いて行きましたよ」と答えると、「行つてみよう、追いつくかも知れん」と渡辺巡査を促して右自動車で応地商店前を発ち、その西方約一〇〇メートルの上西商店(上西タバコ店)の西側から右折し、そこから美ノ郷町上組に通じる幅員約四メートルの舗装道路を約三〇メートル北進したところで、その前方四叉路交差点の手前を、若い感じの、白つぽいズボンに色物の長袖シャツの上にベストを重ね、片方の肩に手提袋をかけ、両手で両耳を押さえながらぶらぶら歩いている男の姿(森本直輝)を認め、その左側を追い抜いて右四叉路交差点を過ぎたあたりで停車し直ぐに両名とも下車して右森本の前に佇立した(別紙美ノ郷町中野略図(一)及び第一現場見取図参照)。被告人は、すかさず右森本に対し「あんたこの辺で見かけん人だが、どこの人かね」と問い、同人が「どこの人いうて……」と小声で言つたあと口ごもつていたところ、渡辺巡査が被告人にその耳もとで「部長さん、こんなあこの前の晩逃げた男ですよ。この前さあつと逃げたでしようが」と囁き(このことは、同月一七日午後九時ころ、前記憩の森あたりでの少年のシンナー吸入の補導に渡辺巡査、被告人及び木ノ庄警察官駐在所升原詔治巡査の三名が警らに出かけた際、黒つぽい手提袋を提げ、対向の被告人達の車が近づくや両手で耳を押さえた青年に逢い、車を止めて渡辺巡査と升原巡査が青年の傍に近づき、渡辺巡査において行き先を尋ねると「別に……」と答え、更に「警察の者じやが」と告げたところ青年が突然脱兎の如くに駆け出し、渡辺、升原両巡査とも探したが分らなかつた出来ごとを意味した。)、被告人が合点のいかぬ生返事をしたりしているうち、右森本において、同所から東方大通寺へ通じる道路へ一散に走り去り、直ちにその後を追跡した渡辺巡査を数十メートルで断念させて遁走した。時刻は午前一一時四五分ころであつた(以下、右尾道市北部農協元中野出張所前の質問現場を第一現場という。)。

(二)  被告人と渡辺巡査はその後前記別紙略図(二)の説明欄に記載のとおり、第一現場に駐車中の自動車に戻り、両名乗車して同図面③④⑤を経て県道に出たうえ上西商店前を経て第一現場に戻り、その若干北方まで進んで途中森本を探したが見当たらず、再度引き返えして同図面第一現場から左折し、③④⑤に至り、⑤の付近で被告人は下車し、同所から二手に分かれ、被告人は同図面小川良夫方東側の小径を経て興仁保育所跡付近を、渡辺巡査は前記自動車を県道の傍に置き、応地商店付近を経て同店東側大通寺参道を北進して興仁保育所跡付近を探索するなどしたが、両名とも森本直輝を発見できないまま右参道の大通寺山門から南へ一〇メートル余りの所で合流する形となり、被告人において同所あたりで居合わせた高校生に話しかけるなどした。折から森本直輝は、第一現場の東方約二四〇メートルの右大通寺(美ノ郷町中野九二四)の南側小径(幅員約一・八メートル、非舗装、前記略図(二)及び第二現場見取図参照)に西の方から東の方に向いて立ち、左手に前記手提袋を、右手に前記折たたみ式果物ナイフを刃先を前に向けて所持していた。それより先、その東方約一七・六メートル付近の右路上で幼児三名を遊ばせていた大淵慧子(昭和二〇年六月生、当時三四歳)は、被告人が、右参道上からその東沿いの畑で作業していた同女の母大淵光江(大正三年九月生、当時六五歳)ほか一名に対し「奥さん、おかしげな者がうろついとるけえ、気をつけて下さいよ」と話しかけている様子を見て、その一〇分ばかり前に、被告人らが応地商店前まで前記白色の普通乗用自動車で来て応地志津江に若い男(森本直輝)のことを尋ね、同車で西へ向かつたのを知つていたので「むこうでつかまえられんかつたんだな」と気味悪く思つていた。大淵慧子は、ふと西方を見た際右若い男が前述のように刃物の刃先を前に向けている姿を発見し、同人が警察官を見て逆上し、右幼児を人質にとられるのではないかという恐怖感を覚え、接近されてはと「もつちやん」と我が子の名を呼んで左手で抱き寄せた。これと相前後して、その西方の小川良夫方前農道にいた助永康恵(昭和一四年一〇月生、当時四〇歳)及び助永真喜子(昭和一六年七月生、当時三八歳)が右若い男(森本直輝)の姿を認めて被告人と渡辺巡査に手で合図したため、被告人及び渡辺巡査も、森本が前記大通寺の南側小径に来ていることに気づき、渡辺巡査が、被告人に先立つて森本の前面にその東方から駈け寄つたが、同人において、右手にナイフを所持していることが判明したため、「ナイフを捨てえ」などと言つて警告したが、却つて同人が右手に握つたナイフを頭上に構えて渡辺巡査の方へすり足で接近して来たことから、同巡査は着装していたけん銃を取り出し、森本の方へ向けて右腰の前に構え、「ナイフを捨て。はむかうと撃つぞ」などと言つたところ、森本は後退しながら同巡査に対しナイフを振り下ろすような行為を四、五回繰り返したのち、突然身を翻えして西方へ遁走して行つた。同人は、またも渡辺巡査の追跡を振りきり、右保育所跡建物の西側の田の中を南に向けて疾走し、有原橋を渡つて藤井川南側堤防上の道を東進し、寺前橋南詰めから泉部落へ通じる道路を自宅方向へ向け走り続けた(以下大通寺前の右現場を第二現場という。)。

(三)  被告人は、森本直輝が有原橋を渡つた後、藤井川南側堤防上の道を東に向け走つているのを、前記参道を応地商店の近くまで南進したところで認め、第二現場で同人が光る刃物(長さ約一〇センチメートルと視認)をもつて渡辺巡査に抵抗していたところから、銃砲刀剣類所持等取締法違反及び公務執行妨害罪の現行犯人として逮捕すべく、同人を追跡し、寺前橋南詰めから南へ約一二四メートルの地点付近で追いつき、立ち止まつた同人に対し「ナイフを捨てえ」と数回叫んだ。同人は立ち止まつて振り向き、被告人に対し「何を、何を」と言いながら、右手に持つた前記ナイフと左手に提げた前記手提袋を交互に振りまわすようにして反抗し、これに対し被告人が右手に持つた特殊警棒(同押号の14)を用いて防戦する形になつた。そのうち両者の間隔が約二メートルの状態で森本がさらに被告人にナイフで切りかかり、避けようとした被告人は態勢が崩れそうになつて危険を感じ、所携のけん銃(スミス・アンド・ウエツソン社製、回転弾倉式、口径九・七ミリメートル、番号八〇〇七四三、同押号の17)で防護し、森本に逃走を断念させて前記両罪の現行犯人として逮捕すべく、特殊警棒の革紐を右手首に通したまま、けん銃ケースからけん銃を取り出しながら「待て、来たら撃つぞ」と両三度叫んで銃口を空に向け、威嚇発射の姿勢をとつて引き金に指をかけ、なおも森本がナイフで切りつけてくるため、安全装置(引き金部分に装着されたゴム)をはずし、「ナイフを捨てえ、捨てねば撃つぞ」と三回位叫び、銃口を空に向けて威嚇発射をし、弾丸が森本の左手小指から手掌部を経て手根部を貫通する結果となつた(前記別紙略図(二)及び第三現場見取図参照)。その瞬間、森本はナイフを右手に持つて振り上げたまま「やめやあ」と一回叫んで被告人を睨みつけ、反転して泉部落の方へ走り出した(以下右発砲現場を第三現場という。なお、右発射弾が森本の左手に命中した点については更に後述する。)。

4  被告人は、そのまま森本を逃走させては他に危害を及ぼされるおそれもあると考え、何としても同人を逮捕しようと思い、右手に把持していたけん銃をケースに納め、特殊警棒を手首にかけた革紐をはずして右手に持ち、同人との間をとりながら、途中数メートル走つては止まり振り向きざま右手に持つたナイフを振りかざして何ごとか叫びながら襲いかかる仕草をする同人を、四十数メートル追跡し、同町中野三八七番地宗永喜代松方入口の脇道へ森本が右折して入つて行くや、後ろ向きで「すなや、すなや」と叫びながら後退する同人を、三メートル位の間隔をとつて「待て、何で逃げるのか」と叫びながらなおも追跡するうち、同人が右宗永喜代松方庭先にある田圃に逃げ込んだ。同田圃は、面積一五八平方メートル位、稲の刈り取りあとで、西側端に高さ約〇・八メートル、幅一・六メートル、長さ約三・五メートル位に、はで杭(稲束を掛けて干す竿の両端を支える三本一組の棒状の木)約二〇〇本が積まれており、その東側同田圃のほぼ中央付近に縦四・四メートル位、横五・一メートル位の長方形のビニールシートが敷かれ、同シートの上一面に籾が干してあつた。右田圃の中に入つた森本は、その三メートル位後方を追つて来る被告人に対し、急に振り向き、何かを叫びながら、右手に持つたナイフを振り上げて襲いかかつた。これに対し被告人は前記特殊警棒を用いて二メートル余りの間をとつて防戦し、機をみて森本のナイフを叩き落とそうと試みたが果たせなかつたところ、森本は素早く前記はで杭一本(長さ約一・七メートル、直径約三センチメートル、同押号の6)を両手で持ち、被告人めがけて振りおろしたり振りまわしたりして激しい攻撃を加え、被告人の両足、両腕等に強烈な打撃を与えた。このため被告人は、やむなくはで杭の積んであるあたりまで後退し、自己もはで杭を取つて応戦しようと一瞬考えはしたが、森本の攻撃の激しさから身をかわすのに精一杯でかなわず、そのうち右肘を強打されたため特殊警棒をとり落として素手になつてしまい、その後は森本の攻撃が被告人の頭部を狙つて一層激しさを増し、左右に身をかわそうとしても余りの熾烈さにそれもできない状況の下で、後退する足が前記はで杭の山に当たり、よろけるような形になつて追い詰められたところを、森本が両手で握つた前記はで杭で被告人の頭部めがけて更に猛烈に殴打してきたため、そのまま頭部を殴られて失神すれば、自己の生命が危険であるのみならず、けん銃を奪われて住民に危害が及ぶ危険も生じると考え、最早や所携のけん銃で森本を制圧する以外に方法はないと判断し、素早くけん銃をとり出して両手で腰の前あたりに構え、森本に対し「来るなら撃つぞ、来るなら撃つぞ」と二回位警告を発し、なおもはで杭を頭上に振りかぶつて一歩踏み出して殴りかかつてきた同人に向け、はで杭を振りおろす瞬間、その左大腿部を狙つて発砲すると同時に、右はで杭の山に尻もちをつく恰好になつた。森本はそれと同時位に仁王立ちとなり、二、三歩後方によろけるようにして前記籾の上に倒れ、弾丸は同人の左乳房部から心臓、肝臓を貫通して右腎臓を損傷し、その結果同日午後零時五分ころ同所において失血のため死亡するに至つた(以下右田圃の中を第四現場という。前記別紙略図(二)及び第四現場見取図参照。なお第四現場における被告人の発砲の点については更に後述する。)。

以上の事実を認めることができる。

四前段認定の諸事実に基づいて、昭和五四年一〇月二二日の被告人と被害者森本の一連の行為を、以下順を追つて検討する。

1  第一現場における、被害者森本に対する被告人と渡辺巡査の前記質問行為の適法性について考察する。

警察官職務執行法二条一項は、職務質問の対象者等につき「異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して、何らかの犯罪を犯し、若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者……を停止させて質問することができる」旨規定している。森本は、当日午前一一時四〇分すぎころ、美ノ郷町中野上組に至る道路の第一現場付近を、所携の手提袋を肩にかけ、被告人ら乗車の前記自動車の接近につれ、両手で両耳をふさぐようにして、北に向けて歩いていたものである。手で耳をふさぐ動作が奇妙なものであるとしても、それは聴覚等身体の異常を推測させる程度のものであつて、それ自体犯罪に繋がる異常な行動であるとは言えず、これをもつて同条一項にいう異常な挙動ということはできない。のみならず、当時美ノ郷町中野地区において婦女暴行や盗難等の事件は何ら発生していなかつたので、森本が、何らかの犯罪を犯したとの疑いを持たれる余地は全然存しなかつたものである。そして、美ノ郷町中野地区の住民が、森本については、素性も知れぬ青年で連日不可解な徘徊を続け、眼つきが鋭く無愛想であつたこと等から頭がおかしいのではないか、ノイローゼにかかつているのではないか等、通常の男性とは異質なものを感じ、子女らに対する性犯罪等の惹起を懸念していた事情がありはしたものの、既に一か月位もの間中野地区界隈を日中徘徊散策し続けていて、何らかかる犯罪的兆候は窺えなかつたのであるから、右不安感は、同人をして、周囲の事情から合理的に判断して、何らかの犯罪を犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者とは到底言えなかつたものである。されば第一現場における右質問は、警察官職務執行法二条一項のいわゆる職務質問には該当しないといわざるを得ない。しかし、右質問は森本に対し何ら強制力を加えてのものではなく、付近住民の要請に依拠してのものであり、右要請が全く不当なものと断定し難い以上、警察法二条一項の「警察は、個人の生命身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする」との規定の趣旨に則り、相手の任意な応答のみを期待してなされた適法な質問であると解するのが相当である。第一現場で被告人らの前から何故に森本が突如逃走して行つたのかについては、被告人らの森本に対する言動が特に強圧的であつたとの事情も窺えず、先に認定した事実以上に詳しい事情は証拠上認められない。大学を中途退学し、失職中でかつ前記てんかんの疾患を有していたところ、制服の警察官である被告人らから受けた思いがけない問いかけが、右疾患の器質に強烈に突きささり病的な発作状態に陥つたためなのか、それとは全く別の事由によるものであつたのか不明である。しかしいずれにしても、被告人と渡辺巡査は、森本がてんかんの器質的疾患をもつ者であることを知る由もなく、右逃走の理由が理解できず、その事由等についても任意な応答を求める前提として対話の機会をうるために、その直後から第二現場に至るまでの間、森本の所在を前認定のとおり探索したものであつて、右行為は警察法二条一項の精神に照らし何ら非難されるべきものではなく、適法な行為というべきものである。

2  次いで、第二現場において、森本がナイフを把持し、渡辺巡査がけん銃を構えた行為の適法性等について考察する。

第二現場で、前認定のとおり森本が渡辺巡査に対し所携の折りたたみ式ナイフを右手に持つて構え、同巡査に対峙した所為は、右折りたたみ式ナイフの形状が、同巡査においてそれを長さ約一〇センチメートルのものと視認しているうえ、銃砲刀剣類所持等取締法二二条但書、及び同法施行令九条二号の要件(刃体の長さが八センチメートル以下の折りたたみ式のナイフであつて、刃体の幅が一・五センチメートルを、刃体の厚みが〇・二五センチメートルをそれぞれこえず、かつ開刃した刃体を鞘に固定させる裂置を有しないもの)のうち、刃体の幅(刃の最大幅)において一・五センチメートルをこえているものであるところから、右但書の適用を受けず、人に向け凶器として使用する前段階としての正当な理由によらないもので同法二二条本文に違反し同法三二条三号に該当するものであることは明らかである。ところで、警察官職務執行法七条は、「警察官は、犯人の逮捕若しくは逃走の防止、自己若しくは他人に対する防護又は公務執行に対する抵抗の抑圧のため必要であると認める相当な理由のある場合においては、その事態に応じ、合理的に必要とされる限度において武器を使用することができる」こと及び刑法三六条、三七条に該当する場合等所定の事由のある場合を除いては人に危害を与えてはならない旨規定し、警察官けん銃警棒等使用および取扱い規範(昭和三七・五・一〇国家公安委員会規則七号)七条本文は、「警察官は、犯人の逮捕若しくは逃走の防止、自己若しくは他人に対する防護または公務執行に対する抵抗を抑止するため、警棒等を使用する等の他の手段がないと認められるときは、その事態に応じ必要な最少限度においてけん銃を構え、または撃つことができる」と規定して、警察官のけん銃使用について、いわゆる警察比例の原則を示している。森本は、前叙のとおり銃砲刀剣類所持等取締法違反の罪の現行犯人であり、同人が第二現場から逃走することを意図していたことも明らかであるから、渡辺巡査並びに被告人が第二現場以降森本の逃走を防止し、同人を逮捕すべく考えることはけだし職務上当然のことである。しかし、渡辺巡査及び被告人の経歴、体力、武道ないし逮捕術の心得、たまたまそのとき渡辺巡査が警棒を携帯していなかつたにしても、そのすぐ近くに特殊警棒を携帯していた被告人が居り、容易に連携して制圧逮捕に及びうる状況にあつたこと等、四囲の事情に照らすと、被告人の所持する特殊警棒を用いて森本の持つている刃物(折りたたみ式果物ナイフ)による攻撃に対抗し、両名で森本をその場で制圧することがそれ程困難であつたものとは解し難い。このことは渡辺巡査がけん銃を構えているのを見た被告人において「撃つな」と制止していることからも裏付けられるところである。渡辺巡査が「はむかうと撃つぞ」と言つていきなり森本に銃口を向け、けん銃を構えた行為は、警棒等を使用する等他の手段を容易に用いることができる状況の下でなされたものであつて、前記警察官職務執行法七条所定の武器使用の要件を欠いており、それ自体違法な職務行為であつたといわざるを得ない。しかし、このことにより、渡辺巡査が第二現場で森本に対して逮捕制圧しようとしていた職務行為に対し、公務執行妨害罪の成立が否定される余地のあることは格別、第二現場から第三現場へ向けて逃走する森本を銃砲刀剣類所持等取締法違反の現行犯人として逮捕し、かつ同法二四条の二第二項により右ナイフを提出させるべく、被告人において追跡して行つた行為が、刑事訴訟法二一三条の趣旨に照らし、相当でかつ適法な職務行為であつたことは、検察官職務代行者も主張しているとおり、明らかなところである。

3  さらに第三現場における森本の攻撃の程度と被告人のなしたけん銃威嚇発射の適法性について前掲関係証拠に基づいて検討する。

(一)  被告人は、第三現場(幅員約二・五メートルの舗装路)において前認定のとおり森本を制圧逮捕しようとしたが、同人が警察官の制服制帽姿の被告人に向かつて歯を喰いしばり、目を吊り上げた異様な形相で、右手に持つたナイフと左手に提げた手提袋を交互に車輪のように振り回して接近して来るため近づけず、間合をとりながら同人のナイフを持つた右手をめがけ、前記特殊警棒を左下から右上に向け数回振り上げ、同人の右上肢手根部手背側に表皮剥離を伴う三条の長さ約各三センチメートル位の帯状の変色を生じさせる等の打撃を与えるなどして防戦し、さらに同人を制圧すべく同人の右上肢を掴もうとしたりしたところ、同人が被告人に対して振り回していた前記ナイフで、被告人の制服上衣右肘部付近に切りつけて来たりもしたため、危険を感じ、咄嗟に後方へ飛びさがつて間隔をとりはしたが、突然身体の平衡を失してよろけ、思いどおりに同人との間合を保つことができない状態に陥り、同人の凄い形相と攻撃の激しさから、瞬間、右ナイフで顔や首などを刺される危険を感じ、自己を防護し、その攻撃を制して前記現行犯人及び公務執行妨害罪の現行犯人として同人を逮捕するには、けん銃を示し更には、威嚇発射して制圧するのも已むを得ないと考え、けん銃を取り出し、右手で右肩の辺りに構えながら前認定のとおり警告を発した。しかし、同人はなおもひるまず激しくナイフで切りつけて来るのに対し、被告人は前記百数十メートルの間を全力疾走で追跡したため年令的な体力の減退から息も切れ、機敏に体をかわす敏捷さも失して身に重大な危険を感じ、前叙のとおり森本の攻撃を阻止して自己の身体の安全を護ると共に同人を制圧逮捕するには最早や威嚇発射以外に手段はないと判断し、即刻安全装置をはずして上方に向け威嚇発射した。

(二)  弁護人は、森本がナイフで被告人の制服上衣の右肘部分に切りつけた際、右袖背面の袖口から約一七センチメートル部位に、横二・八センチメートル、縦四センチメートルのかぎ状の損傷を生じさせた旨主張し、証拠上確かに右の部位に損傷の生じていることが明らかである(広島県警察本部刑事部科学捜査研究所長作成の昭和五四年一一月一三日付「鑑定結果について(回答)」と題する書面)。しかし、横二・八センチメートルの損傷の中途(縦の損傷の基点から約二センチメートルの位置)にも長さ約〇・九センチメートルの縦に裂けた損傷が存する(鑑定人木村康作成の鑑定書)。右二センチメートルの部分にナイフの刃が刺さつた状態で下方に引けば、かかる損傷の生じる可能性はあるものの、右二センチメートルの辺縁の撚糸が刃物で切られた形状でなく、ほつれて房状をなしており、服の裏地やシャツには損傷が生じていないところから、或いは第三現場で生じた小さな損傷が、第四現場ではで杭による殴打を受けた際拡大した可能性も否定し難く、弁護人の主張どおりに右損傷が生じたものであると迄は断定し難いところである。

(三)  発射された弾丸は、前認定のとおり森本の左手を貫通したが、弁護人は、右弾丸は森本に命中してはいないとし、その主要な根拠として、次のとおり主張する。

(1) 第三現場において、森本が左手に銃創を受けたことを窺わせる事情を目撃した者がいないこと。

(2) 第三現場から前記第四現場へ至る宗永喜代松方入口付近までのアスファルト舗装路上に、森本の左手から出血した血液が落下付着している筈であるのに、ルミノール検査結果からも該路上に血痕は発見されていないこと。

(3) 森本が第三現場から第四現場へ至る間左手に提げていた前記手提袋の吊手の部分に血液が付着している筈であるのに、この部分にはそれが発見されていないこと。

(4) 第四現場での森本のはで杭による猛烈な攻撃は、第三現場で左手に貫通銃創を負つていたとしたら不可能であると考えられるうえ、はで杭の左手に握られた部分に血液が付着して然るべきであるのにそのいずれの端にも血痕は発見されておらず、同人の着衣にも飛沫の血痕があるべき筈のところそれが発見されていないこと。

(5) 第四現場で被告人の発射した弾丸が、森本の左胸部から射入してその体内にとどまつているところ、右銃弾が左手を貫通することなく、直接左胸部に命中したのであれば、当然その身体を貫通している筈であること。

以上をその主たる理由とするものであるが、いずれも第三現場での左手貫通銃創の事実を決定的に否定しうる論拠とはなし得ない。けだし

(1)については、第三現場の状況の目撃者は皆無であるが、異常に興奮していた中での森本の言動、つまり「やめやあ」と一回叫んで被告人を睨みつけ、反転して泉部落の方へ走り出したことが客観的には左手の受傷を表象していたとも解される。

(2)については、左手貫通銃創による出血は、刃物による場合と異なり、血管が挫滅するため出血の量が少なく、貫通した部位には太い血管もないため極く微量の出血にとどまり、左手で手提袋を抱きかかえるようにした場合、その殆どが手提袋に吸収され(証人木村康の当公判廷における供述、第六回公判調書中証人小嶋亨の証言)、ルミノール検査も事件発生後多数の自動車や人が往き来した後の当日午後一一時ころ実施されたものであるため、確実には検出され得なかつたことが十分考えられる(証人木村康、同岡田和義の当公判廷における各供述)。

(3)については、吊手の部分は小指に巻き込まれ、左手を負傷した後は、寧ろ吊手部分を左手で提げることはせず、左手全体で手提袋を抱くようにすると考えられ、そうであれば手提袋の吊手に血痕が存しなくてもあながちな不合理ではないこととなる。

(4)については、森本のはで杭による攻撃が極度に興奮した状況下のものであつてみれば、左手の銃創も右攻撃を却つて一層果敢なものとしたとさえ考えられ、はで杭の一方の端から六六センチメートルの所に縦二センチメートル、横五センチメートル位の大きさの血痕の存在が認められ、森本の着用していた長袖シャツの袖口、ズボン、前記手提袋からややはみ出していた新聞紙面にも血液の付着が認められており(安部隆芳の検察官に対する昭和五五年一〇月九日付供述調書)、前記微量の出血に鑑みて、けだし不合理なところはない。

(5)については、左乳房部から胸腔内に斜め下方に射入した弾丸は、心嚢の左側を突き破つて心臓の左心室に入り、心尖部を突き抜け、横隔膜を経て肝臓を貫通し、尾状葉を破壊し腎臓上部を損傷して第一二肋骨先端部を破砕した後右腰部の腹壁内に止まつており、射創の長さは約二五センチメートルに及んでいるものであり、弾丸の活力よりして必ず貫通しなければならないものでもない(前掲証人木村康の証言)。先に認定したとおり、第四現場において、森本は、被告人が発砲する直前、両手ではで杭を持ち、激しく被告人に殴りかかつており、その前に左手に持つていた手提袋とナイフを手離し、付近に放置していることが明らかである(被告人の検察官に対する昭和五五年一〇月三日付供述調書、宗永一彦の検察官に対する昭和五四年一二月六日付、昭和五五年一〇月三日付及び司法警察員に対する各供述調書)。しかも森本が銃弾を受けて仁王立ちになり、二、三歩後退して倒れた籾の上の位置と、その時血液の付着した前記ナイフと手提袋の在つた位置は離れており(司法警察員作成の昭和五四年一一月一二日付実況見分調書)、第四現場において、右手提袋やナイフに、弾丸の命中により出た血液が付着することは物理的に説明することのできないことである。第四現場以前、つまり第三現場で被告人の威嚇発射した弾丸が森本の左手に命中し、出血した血が手提袋やナイフに付着する以外にその機会はあり得ない。また第四現場において、森本が両手ではで杭を握り、振りおろす瞬間左手への前記貫通銃創を生じた弾丸が左胸部から胸腔内へ射入したものであるとすれば、左手で握られていたはで杭の部分に当然損傷が生じていなければならないところ、銃弾により生じたと解される損傷ははで杭のどこにも認められていない(坂井紘治の検察官に対する供述調書)。

かような訳で弁護人の前記主張は採用し得ないところである。

(四)  以上の次第で、第三現場において、被告人が森本の抵抗を阻止して同人を逮捕すべく威嚇発射に及んだ所為は、右のとおり森本のナイフによる攻撃の危険が緊迫し、咄嗟の自己防護及び右制圧逮捕の手段として、必要最小限度の方法であつたというべきである。そして、検察官職務代行者の主張する如く、渡辺巡査の到来を待ち、或いは当初から森本のナイフが到底届かない位に十分な間合をとつて、危険の緊迫化を避けるべきであつたのではないかとの観点に立つて検討してみても、前記身体的事情に加え、移動する森本に対し渡辺巡査の到来を待つことは、第二現場で同巡査と別れて以降、火急の折りで相互の連携を図る暇もなかつたのであるから(渡辺巡査は森本が第二現場見取図から第一現場の方へ向かうものと予測して先まわりすべく同見取図に至つており、被告人が森本を追跡して第三現場に向かつている状況を、渡辺巡査が遠くから瞥見しているのを被告人自身了知していない。)、徒らに森本の逃走を助長させることに繋がり、ナイフを持つ森本との間隔を十分にとることは、特殊警棒をもつて右ナイフを叩き落とす等の制圧行為を不能にし、かつ同人の逃走を容易にして逮捕を困難にするものであつてみれば、その職務を忠実に遂行しようとする被告人にとつては、到底採択し得なかつたものというべきである。被告人は、警察比例の原則を心得ておればこそ第二現場において渡辺巡査がけん銃を使用するのを制止したのであつた。第三現場において、被告人が前記自己防護及び森本の制圧逮捕のために威嚇発射に及んだ所為は、警察官職務執行法七条、警察官けん銃警棒等使用及び取扱い規範七条本文におけるけん銃使用の要件を充足した正当な職務行為であつたというべきである。尤も、右威嚇発射された弾丸は、被告人の予期に反して森本の左手に命中し前記貫通銃創の結果を生じているものである。しかし、右命中の機序は本件証拠上全く不分明である。命中している結果から、検察官職務代行者が主張する如くに直ちに、被告人が森本の身体に向けて撃つたものである、と即断することはできない。それ故、狙撃を前提にして右発射の適法性を云々することは失当たるを免れず、仮に別の視点から右結果に非難の余地がありうるとしても、威嚇発射自体が正当な職務行為である以上、該発射行為については刑法三五条により違法性が阻却され、被告人には同法一九五条一項、一九六条の責任は生じ得ないというべきである。のみならず、森本の右受傷の事実が外見上必ずしも明確ではなく、被告人も無論これを認識していなかつたこと等に鑑みると、被告人が以後森本に対してした追跡、逮捕のための職務行為が、違法として許されなくなるものでないことも亦当然である。

4  さらに第四現場において、森本のなした攻撃とこれに対する弁護人主張の正当防衛の成否について、前掲関係証拠に基づいて考察する。

(一)  第三現場より第四現場へ至つてからの森本の攻撃の状況は先に認定したとおりであり、第三現場における威嚇発射と森本の左手銃創が第四現場における同人の攻撃を惹きおこす一因をなしたとも考えられるけれども、被告人の第三現場以後の追跡、逮捕のための行為が正当な職務行為である以上、第四現場の事態如何によつては、被告人に正当防衛権の行使が認められることは当然である。しかし、けん銃の発砲の如く、人の生命、身体に対して重大な危険を生じさせる行為は、警察官職務執行法七条所定の要件を具備していたか否かが厳格に検討されなければならないところ第四現場における森本の攻撃の状況をたまたま目撃していた宗永一彦(昭和一四年六月生、当時四〇歳)、宗永一枝(昭和一九年三月生、当時三五歳)、宗永まさみ(昭和三〇年四月生、当時二四歳)らは、その程度を被告人の生命に危険を感じさせる程のものであつた旨撥を一にして述べている。同人らの目撃状況は左のとおりである。

(1) 宗永一彦の目撃状況

宗永一彦は当時尾道市内の某警備保障会社の警備員として稼動していた壮年の男子であり、当日(昭和五四年一〇月二二日)は日中が非番で自宅に在り、前記第四現場の田圃のはで杭をそこから少し南西に上つた所にある小屋へ運び込む仕事に携わり、小屋から田圃近くに歩いて下つていた際、被告人が森本を追跡して来るのを目撃し、更に両名が右田圃へ入つて行つた後は、同人らから一〇メートル前後隔つた所に佇んで、その状況に終始目を当てていたものである(別紙第四現場見取図参照)。なお、被告人は専ら森本に注意を集中していたため、宗永一彦がその付近に居たことには全然気付いていなかつた。

右一彦は、田圃に入る森本が右手に持つていた前記ナイフを左手の前記手提袋と一緒に持ち、右手で取つたはで杭を、初め右片手で持ち、すぐに左手の手提袋とナイフを手離し、双手で右はで杭を握り、田圃の中央あたりで、被告人めがけて休みなしに縦横に振りまわして殴りかかり、被告人が特殊警棒を叩き落とされてからは、さらに激しさを加えるのを目のあたりにし、自己の体力や職業(警備員)等をしても、恐怖の余り、目前の被告人を救護する気持にさえなれず、右発砲に至るまでの間、被告人において、右はで杭の山積みの中から一本を取り出しこれをもつて抵抗するなり、或いは森本の胸元に飛び込んで同人を取り押さえるなり、危難を排して同人を制圧することに思い及ばなかつたばかりか(前記山積みのはで杭は殆ど三本一組に結わえてあつて簡単には取り出し得ない。)、森本の猛烈な攻撃を左右に身をかわして避けるようにしつつ後退し、遂にはで杭の山に追いつめられ、最早や逃げ場のなくなつた被告人が、そのはで杭の山の前あたりに倒れたりすると、森本のはで杭による攻撃で打たれ放題となり大変なことになると直感し、被告人の発した警告は聞きとれなかつたものの、思わず自ら「危い」と声を発した程であつた。右一彦は、被告人が、右手をおろした直後瞬時のこととて仔細には確認できなかつたが、上半身を後方へ倒れるようにそらした姿勢の中で、はで杭を被告人目がけて打ちおろすべく前かがみになつた森本に向けてけん銃を発射し、同人が前記のとおり籾の上に倒れたのを現認した。右一彦は、以上の出来事につき、相当の重量(四九〇グラム)のある堅い松の木のはで杭を森本がよくあれ程に素早く、連続して振りまわすことができたものであると、同人の必死の力の凄まじさにひどく驚嘆すると共に、被告人がはで杭の山の前であのまま殴打され続けていたなら死んでしまつたかも知れず、あの場合被告人が発砲し、その結果森本が死亡したことはまことに已むを得なかつたものであり、他の誰かが右(第四現場)の状況を同じように目撃していたとしたら、自己(右一彦)と同様に感じたに相違ない旨、恐怖感を吐露している((証人宗永一彦に対する当裁判所の尋問調書、同証人に対する裁判所の取調調書(二通)、同人の検察官(三通)、司法警察員及び司法巡査に対する各供述調書))。

(2) 宗永一枝の目撃状況

宗永一枝は宗永一彦の妻で、第四現場の北側宗永喜代松方納屋二階の子供部屋に居て、ガラス窓越しに約一〇メートル先の前記田圃の中の状況の一部を見おろしていたものである。右一枝は、右田圃の西詰めのはで杭の山の前で、森本がはで杭を両手で持つて、はで杭の山を背にした被告人に対し、大きく振り上げ、五、六回殴りつけ、被告人が手でこれを避けながら、「やめ、やめ」と必死に叫びながら後退し、積んであつたはで杭の一部に足がかかつたのが、ぐらついた直後、けん銃の発射音を聞き、森本が籾の上に倒れたのを目撃しており、夫である前記一彦が付近に居ることが分つていたため、これに巻き込まれなければよいがと気づかい、被告人が、森本に飛びついて行つて取り押さえるとか、そこから逃走するとかの余裕のある場面ではなく、短い時間ではあつたけれども、殴りかかつて来る森本に対し被告人が発砲したのも已むを得なかつたものと感じ、若し発射していなければ被告人が「むちやくちやにされていた」ものと思う旨森本の攻撃の熾烈さを供述し、森本が倒れた直後電話を借りに来た被告人が「足を狙つたんじやけど」と述懐していたのを聞いている((証人宗永一枝に対する当裁判所の尋問調書、同証人に対する裁判所の取調調書、同人の検察官(二通)及び司法警察員(二通)に対する各供述調書))。

(3) 宗永まさみの目撃状況

宗永まさみは、前記田圃の北東側に隣接する宗永肇方の屋内(台所)に居て、右田圃の中で森本と被告人が激しく言い合つている声を聞き、こわごわ右田圃に面したガラス窓を一〇センチメートル位開け、数メートルの近距離から両名の様子を見ていた主婦である。右まさみは被告人が田圃の入口あたりで、田圃の中にいる森本に何か言つていたが、そのうち、森本が声を発しながら手に持つたはで杭をビュンビュン振りまわして両名が田圃の中を行つたりきたりしているうち、田圃の東寄りの方へ両名が移動し、恐しさの余り寸時顔を伏せたため視野からはずれ、面を上げたところ被告人が田圃の西側に戻つて来ていて再び視野に入り、その際被告人がはで杭の山の方へ後ずさりし、右手でけん銃を取り出し、構えた様子が目に入り、再び恐しさの余り顔をひつこめ同人らから目をそらした直後けん銃の発射音を聞き、再度窓外に目をやり田圃の中央付近に森本が倒れているのを見て、その側へ出ていつているものである(証人宗永まさみに対する当裁判所の尋問調書、同証人に対する裁判所の取調調書、同人の検察官及び司法巡査に対する各供述調書)。

以上第三者による第四現場の目撃状況は、被告人の供述するとおり、森本の被告人に対するはで杭による攻撃が被告人の生命に危険を感じさせる程に極めて強烈であつたことを如実に物語つているというべきである。

他方、その際森本の攻撃により被告人の受けた負傷の部位、程度は、両肩打撲、両前腕打撲、右大腿・下腿打撲擦過傷等で、当初三週間の自宅安静加療を必要とする旨診断されたが、同年一一月三〇日までは殆ど連日、その後は昭和五五年三月まで月に数回、以後同年九月まで毎月一回通院して治療を受けており、いずれも制服の上からのもので、森本のはで杭による殴打の激しさを窺わせるものである。

(二)  以上の次第で、第四現場において、被告人は、森本のはで杭による猛烈な攻撃を受け、そのため右手で振りかざして対抗していた特殊警棒もとり落とし、素手になつてからは両腕をかざす等して防ぎはしたものの、頭部を目がけてのはで杭による一層強烈な乱打を浴び、これをやめよと制止しつつ後退し、はで杭の山の前に追い詰められ、最早や他にとるべき方法はないと観念してけん銃をとり出し、前認定のとおり「来るなら撃つぞ」と警告を発し、それでもなお森本が臆する様子もなくはで杭を頭上に振りかぶり、たじろぐ被告人めがけて打ちかかろうとしたため、咄嗟にけん銃で森本の左大腿部を狙い一発発射したものである。

森本は前に認定したとおりてんかんの持病を持つ者であり、同人の本件異常ともいえる反抗がそれに基因していたとしても被告人がこれを知る由もなかつたこと、被告人が第三現場から第四現場にかけてとつた森本への制圧逮捕のための行為は、森本の反抗を挑発するためになされたものではなく、ひたすら、警察官としての右職務行為を遂行し、これに対し森本が逮捕を免れ逃走しようとして異常な迄にいきりたち、立ち向かうため、同人を制圧すべくその職責を忠実に完遂しようとしてした正当な職務行為であつたことは、右にみたとおりである。被告人が、検察官職務代行者の主張する如くに、森本のはで杭による攻撃の開始と同時位に、同人に対してなした制圧逮捕のための行為を中止し、或いは渡辺巡査の到来を待つなりすること(森本が撃たれて倒れた直後、渡辺巡査が第四現場へ到来しているが、事前の連携等をとり得なかつた前叙経緯及び宗永喜代松方入口から脇道に入つて第四現場に至つていると同巡査において了知していたとの事情も被告人の側には存しない。)が、右に認

定の第四現場における状況に照らして失当であることは、第三現場において説示したところと同様である。

森本が、銃砲刀剣類所持等取締法違反(第二ないし第四現場)及び公務執行妨害罪(第三ないし第四現場)の現行犯人であることは前に認定したことから明らかなところである。被告人はこれを逮捕すべく、第三現場から第四現場へ森本を追跡して行つた警察官である。第四現場において、森本が右逮捕を免れようとして被告人に対して加えたはで杭による攻撃は、右にみたとおり強烈かつ執拗なもので、明らかに不正な侵害である。そして、はで杭の山に追い詰められた被告人に対し、約二メートルの距離から一歩踏み込んではで杭で殴りかかろうとした森本の攻撃的姿勢は、急迫不正な侵害状態そのものであつたというべきである。被告人は、かかる窮地に陥りながらも、現行犯人を逮捕すべく警察官としての職責と自覚を堅持していたが、右はで杭の山の前に後退を余儀なくされた時点で、自己の生命ないし身体に対する重大な危険を直感し、咄嗟に自己防衛の挙動に及んだものであつて、まことに当然なことであつた、というべきである。被告人は、既に特殊警棒をとり落とし、森本のかかる攻撃を排除する手段としては、所携のけん銃を使用する以外にはなく、右危急な状況の下において、自己の生命、身体を防衛するために右けん銃を使用する所為に及んだことは、けだし已むを得ないところであつたということができる。そして、被告人が森本を殺害する意思までも持つていたとは到底考えられず、このことは、被告人が一発発射したのみで、かつ前記のとおり宗永一枝に対し「足を狙つたんじやけど」と述懐しているところからも明らかである。発射された弾丸が、森本の左胸部に命中した結果前認定のとおり同人が死亡したのは、被告人がその部位を狙つたためではなく、森本と被告人のその時の態勢が前叙のとおりであつたことによるものであつて、被告人にとつても全く意外な事態であつたことは、被告人の供述するとおりである。被告人は、自己の生命、身体を防衛するために森本の左大腿部に傷害を負わせようとしたものであり、その間に、法益の権衡に欠けるところはない。被告人の狙いに反して弾丸が森本の左胸部に命中し、同人が死亡するに至つたことは、まことに悲悽な結果ではあつたけれども、このことによつて、本件における法益の権衡が損われるものではない。

されば、第四現場において、被告人がけん銃を発砲し、これによつて森本が死亡するに至つたとしても、被告人の右行為は、刑法三六条一項にいう、急迫不正の侵害に対し、自己の権利を防衛するため已むことを得ざるに出でたる行為に該当し、該行為は違法性を阻却されるものというべきである。

なお、警察官職務執行法七条に規定された各要件及び警察官けん銃警棒等使用及び取扱い規範に定められた各要件についても、本件けん銃の使用がいずれもこれを充足していることは、前認定の第四現場における状況から明らかであり、この点からも、被告人の右けん銃使用行為は正当行為の範疇に入るものというべきである。

五本件は、以上説示してきたとおり、被告人が市民警察の一員として、その職責を忠実に遂行すべく、被害者森本と意思の疎通を図り得ないまま同人を追跡するうち第四現場に至り、同人の強烈な攻撃を受け、已むなく正当防衛権を行使してけん銃を発射し、同人を死に至らしめたという、まことに痛ましく、不幸な事件であつた。しかして、被告人の第三現場及び第四現場における各けん銃発射の行為は、前叙のとおりいずれも違法性を阻却され、刑法一九五条一項、一九六条の犯罪成立の要件を充足しないものである。

よつて、刑事訴訟法三三六条前段により、被告人に対し無罪を言渡すこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官中村行雄 裁判官田川直之 裁判官安浪亮介)

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